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2014年12月27日

反政府武装グループと交渉した中山恭子氏の話。

中山恭子氏.jpg 国際交流基金常務理事を経て、1999年7月、特命全権大使(在ウズベキスタン及び在タジキスタン)に就任。その直後の1999年8月23日、隣国キルギスの南西部オシェ州で日本人鉱山技師4人を含む7人がIMU(ウズベキスタン・イスラム運動)と見られるウズベキスタン反政府武装グループに拉致されるキルギス日本人誘拐事件が発生する。キルギス政府に交渉を一任せよとの外務省の方針に背き、救出劇の先頭に立った。武装グループに対して影響力を持つタジキスタン政府や関係者を通じて交渉・説得を行い、人質の解放に成功する[1]。

 ソース:wikipedhia

 何でもこの話、「絶対に来れないような山中に丸腰」で交渉に赴いたそうで、十分に女傑ですよね。
 下手したら人質はおろか、女性の地位の低いイスラム圏では、「女がでしゃばるなと」殺される可能性だってあったのですから。

 この事件は、反政府グループがもとより「バトケン州を通過中に遭遇する外国人は誘拐する」と宣言しており、そこに偶然居合わせた鉱山技師グループを宣言どおり誘拐したというもので、必ずしも金品が目的の営利誘拐というわけではなかったようです。
 
  結局彼らが打ち解けあった話のきっかけは、中山恭子氏が国際交流基金の時作製して世界中に配ったNHKの朝のドラマ「おしん」だったそうです。
 意外なところに、共通の話題があったものですよね。

 参考:中山成彬オフィシャルブログ
    キルギス日本人誘拐事件
 

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posted by daichan at 20:06| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | すごい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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